グレッグ・イーガン『クロックワーク・ロケット』世界設定の無類の面白さ

51cw1nazlal-_sl250_グレッグ・イーガンの『クロックワーク・ロケット』を読んだ。

面白かった。が、疑問もあった。が、最近のイーガンとしてはヒット。面白かった。

異世界の回転物理学

この作品の妙味はやはり、その特異な世界設定であると思う。

この作品の舞台となる世界は、ミンコフスキー時空ではなくてユークリッド時空にもとづいた世界になっている。ミンコフスキー時空ではないので時間軸は特別な軸ではなく、ほかの空間軸と交換可能だし、我々の時空とはまったく異なる世界が描き出されている。

これがどういう意味を持つかというと……というのは板倉さんの巻末解説が詳しい。ぼくは物理学については素人だし、あんまり深く考察はしていないが、これは面白いなあと思った。それに、様々な観測的現象とつきあわせて登場人物が科学的発見をしていくのは読んでいて面白い。

私は『白熱光』はあまり評価していないのだが、その理由のひとつに、私達にとって既知である時空の話を、無駄に晦渋に描いているだけに思えたから、というのがある。本作にはそうした問題がなく、素直に読んでいて面白い……(し、もう少し考察を深めるとより面白いのかもしれない、と思える)。そこがほんとうに素晴らしい。

世界の生物学的描写と「翻訳」

この作品のもうひとつの特徴は、まったくの異世界でまったく異質な生物設定をつくりだしているっていうところにあると思う。ただ個人的には、この点については疑問に思っている。

そりゃ我々とは全く異なる宇宙が舞台なのであるからして、主人公たちも人類や地球上の生命とぜんぜん関係ないほうが自然だ。であるからして全く違った生態をもち、まったく違った様態であるべきである。だが、そうした作者のこだわりはわかるものの、無用なこだわりでしかないのでは、という気もする。こうした設定によって作品がよりよいものになっているか、というとそういう気はしない。

そのくせ、作中の動植物にネズミやトカゲ、ダニ、小麦やセイタカアワダチソウといった名称を与える。登場人物たちは首を縦に振ったりし、敬語では末尾に「サー」をつけたりする。こうしたことによって異世界の物語を読みやすいストーリーに「翻訳」しているというのが作者の意図であるように思うが、単語レベルでの使い回しと実際には異質であるという部分が、どうにもちぐはぐだなと思う。

ついでにいうと、英語で書かれたそのような物語を、こういうふうに生真面目に日本語に翻訳することによって、この作者のふしぎなバランス感覚というか、書き方みたいなものに対する疑問が浮き彫りになったと思う。サー、なんて意訳しても良かったはずだし……その意味では、翻訳者の山岸さんはたいへん良い仕事をしていると思う。

ともあれ、正直この辺、作者の自己満でしかないんじゃないかなぁ。この生命体の設定を思いついたから組み込んでみた、というだけでしょう。これ単体として、決してつまらなくはないし、こここそを評価する読者もいるんだろうけれど、度肝を抜くような世界設定を前にしては、妙なこだわりと小手先技だな、と私は思った。

「孤立する科学者」像

それにしてもイーガン作品の科学者たちはいっつも孤立している。真理に到達するのは社会的にはうまく交われないミスフィッツであり、くだらない俗世の問題を逃れた人々が真理への追求に専心するのが素晴らしい、といった認識がイーガンにはあるようだ。

こういう設定はほかの作品でもかなり見られる。イーガンのある種の理想、あるいは社会に対する諦観のようなものがあり、けっきょくわからない人にはわかられないが、分かる人は分かっていてそれで良い、といったロマンチシズムがあるのではないだろうか。

極端な二分法だなと思うし、ずいぶんと単純化されているのではないか、という気もする。そして「わかっている者」が啓蒙することで世の中が発展していく、という考え方はどうにも居心地の悪さを覚える。もう少しこの図式の詳細に切り込んで、難しい側面を扱ったほうがよい小説になるのではないだろうか、と思う。あとこればっかりではなあ、という気分もある。

ただし、終盤の展開は、そういう単純な切り分けではない雰囲気も醸しだされており、そこにはこの作品としての展望がある気もする(3部作なので続編への伏線といった説もあるかもしれないが)。

まとめ

とはいえ、SF小説としてのポイントはやはりこの世界設定であって、そこが面白いからすべてが丸く収まるといったタイプの小説だろうなと思う。

あと板倉さんの解説がたいへんわかりやすくて良いです。ここは日本語版の特典。