月別: 2015年12月

グレッグ・イーガン『クロックワーク・ロケット』世界設定の無類の面白さ

51cw1nazlal-_sl250_グレッグ・イーガンの『クロックワーク・ロケット』を読んだ。

面白かった。が、疑問もあった。が、最近のイーガンとしてはヒット。面白かった。

異世界の回転物理学

この作品の妙味はやはり、その特異な世界設定であると思う。

この作品の舞台となる世界は、ミンコフスキー時空ではなくてユークリッド時空にもとづいた世界になっている。ミンコフスキー時空ではないので時間軸は特別な軸ではなく、ほかの空間軸と交換可能だし、我々の時空とはまったく異なる世界が描き出されている。

これがどういう意味を持つかというと……というのは板倉さんの巻末解説が詳しい。ぼくは物理学については素人だし、あんまり深く考察はしていないが、これは面白いなあと思った。それに、様々な観測的現象とつきあわせて登場人物が科学的発見をしていくのは読んでいて面白い。

私は『白熱光』はあまり評価していないのだが、その理由のひとつに、私達にとって既知である時空の話を、無駄に晦渋に描いているだけに思えたから、というのがある。本作にはそうした問題がなく、素直に読んでいて面白い……(し、もう少し考察を深めるとより面白いのかもしれない、と思える)。そこがほんとうに素晴らしい。

世界の生物学的描写と「翻訳」

この作品のもうひとつの特徴は、まったくの異世界でまったく異質な生物設定をつくりだしているっていうところにあると思う。ただ個人的には、この点については疑問に思っている。

そりゃ我々とは全く異なる宇宙が舞台なのであるからして、主人公たちも人類や地球上の生命とぜんぜん関係ないほうが自然だ。であるからして全く違った生態をもち、まったく違った様態であるべきである。だが、そうした作者のこだわりはわかるものの、無用なこだわりでしかないのでは、という気もする。こうした設定によって作品がよりよいものになっているか、というとそういう気はしない。

そのくせ、作中の動植物にネズミやトカゲ、ダニ、小麦やセイタカアワダチソウといった名称を与える。登場人物たちは首を縦に振ったりし、敬語では末尾に「サー」をつけたりする。こうしたことによって異世界の物語を読みやすいストーリーに「翻訳」しているというのが作者の意図であるように思うが、単語レベルでの使い回しと実際には異質であるという部分が、どうにもちぐはぐだなと思う。

ついでにいうと、英語で書かれたそのような物語を、こういうふうに生真面目に日本語に翻訳することによって、この作者のふしぎなバランス感覚というか、書き方みたいなものに対する疑問が浮き彫りになったと思う。サー、なんて意訳しても良かったはずだし……その意味では、翻訳者の山岸さんはたいへん良い仕事をしていると思う。

ともあれ、正直この辺、作者の自己満でしかないんじゃないかなぁ。この生命体の設定を思いついたから組み込んでみた、というだけでしょう。これ単体として、決してつまらなくはないし、こここそを評価する読者もいるんだろうけれど、度肝を抜くような世界設定を前にしては、妙なこだわりと小手先技だな、と私は思った。

「孤立する科学者」像

それにしてもイーガン作品の科学者たちはいっつも孤立している。真理に到達するのは社会的にはうまく交われないミスフィッツであり、くだらない俗世の問題を逃れた人々が真理への追求に専心するのが素晴らしい、といった認識がイーガンにはあるようだ。

こういう設定はほかの作品でもかなり見られる。イーガンのある種の理想、あるいは社会に対する諦観のようなものがあり、けっきょくわからない人にはわかられないが、分かる人は分かっていてそれで良い、といったロマンチシズムがあるのではないだろうか。

極端な二分法だなと思うし、ずいぶんと単純化されているのではないか、という気もする。そして「わかっている者」が啓蒙することで世の中が発展していく、という考え方はどうにも居心地の悪さを覚える。もう少しこの図式の詳細に切り込んで、難しい側面を扱ったほうがよい小説になるのではないだろうか、と思う。あとこればっかりではなあ、という気分もある。

ただし、終盤の展開は、そういう単純な切り分けではない雰囲気も醸しだされており、そこにはこの作品としての展望がある気もする(3部作なので続編への伏線といった説もあるかもしれないが)。

まとめ

とはいえ、SF小説としてのポイントはやはりこの世界設定であって、そこが面白いからすべてが丸く収まるといったタイプの小説だろうなと思う。

あと板倉さんの解説がたいへんわかりやすくて良いです。ここは日本語版の特典。

 

“Future Vision by Microsoft”アンソロジーよんだ

なぜかマイクロソフトの協力によりできた “Future Vision” というSFアンソロジーがあるんですが、なかなか面白かった。MSの協力のもと、ちょっと近未来的なテクノロジーをリアリスティックに描く作品が揃っている。Amazonなどの電子書籍ストアで無料で頒布されている(Google Play booksがスルーされているのは個人的にはちょっと悲しい……)。

全部で9人の短編(うち一本はコミックですが)が収められていて、邦訳作もある作家も多い。個人的に面白かったのは……

Seanan McGuireの “Hello, Hello” はジェスチャ認識を援用したコミュニケーションツールについての話で、ネタは読んでいればすぐわかるけれど、なかなか良い扱いだった。オチもよい。なお著者は Mira Grant (ミラ・グラント)名義での著作もある。

ナンシー・クレスの “Machine Learning” は直球のタイトルで、コンピュータが人間の感情を理解するという研究がテーマになっているが、それは……という一捻りが加えられている。主人公の造形が生きている。

Blue DelliquantiとMichele Rosenthalの “A Cop’s Eye” はまんがで、近未来にコンピュータと情報ネットワークで強化された警官がある家出少女の捜査をする、という話。ストーリーは他愛もないけれど、であるがゆえに「近未来ではふつうの道具として使われているもの」を鮮やかに描き出す。

ロバート・J・ソウヤーの Looking for Gordo は異星人(のコンピュータ投影)が裁判に持ちだされるという変な展開でかなりほかと雰囲気が違うような出だしだが、実は近いテーマであることが示唆される(が、裁判という道具立てはあんまり活きていない)。

アン・レッキーの “Another Word for World” は機械翻訳をテーマにしているが、他の作品とちがって遠未来であるためガジェットの性能がちぐはぐである気がするが、まあ面白かった。

いちばん面白く読んだのはアン・レッキーかなあ(最後なので強く記憶に残っているというだけかもしれないけれど)。次はナンシー・クレスあたり。

wordpress.com雑感

記事を書いたりセットアップしたりしながらのまとめ。

ブログを書いたりする、という面ではやっぱりラクなシステムだ。が、意外な点がいくつかあったので記録しておく。

細かいカスタマイズが意外と出来ない。wordpressにはプラグインが山ほどあり、wordpress.comではそうしたプラグインがいろいろ使えるのだろうと思っていた。だがどうも、基本的にはあらかじめ設定されたプラグインセットが入っているだけで、追加削除はとくにできない仕組みになっている。らしい(ビジネス、という年間$299のものに入ると、ショッピング系などを作ることのできるプラグインは追加で入るようだ)。

これはサービス提供者側としても楽な割り切りだし、使っている方でもおおむね困ることはない枠組みだ。けれども、おかげで意外なことができなかったりする面もあるような気がする。たとえば、

  • ぼくは写真はgoogle photosを使っている。そういう外部の写真サービスの内容をそのままインポートするいい仕組みがない。画像は画像としてアップロードしなおしたり、といった処理が必要になる。
  • amazonアフィリエイトリンク入れるのは面倒。
  • サイドバーにも、個人的にはGoogle+のプロフィールへのリンクを入れたいのだけど、ちょっとうまくいかない。
  • ソーシャルサービスへの接続と自動共有の機能。本文は共有しないでほしいんだけど……ってのがカスタマイズできない。facebookは全文改行抜きで入っていて閉口したので接続を解除しました。Google+接続はなぜか投稿が自分にしか共有されません。なんなんじゃそりゃ。

などなど。プラグインはwordpressの大事な価値だと思っていたので、ホスティングサービスでどういうふうにバランスさせているのかな、と思っていたけど案外とどうでもいいというか、プラグイン入れたきゃ自分で運用したら?という雰囲気なのかな。

テンプレート編集

生HTMLはいじれないけど、ウェブUIからそこそこカスタマイズできる。これはまあ予想通り。だがサイドバーにdisclaimerを入れたかったのだけど、入れるためのいいウィジェット(プラグイン)がない……こまった……となった。

その後、ビジネスオーナー向けのコンタクト情報ウィジェット(お店とかの営業時間などを入れるためのもの)があったので、それをdisclaimerということにして勝手に適当な文字列を埋め込んだ。

広告

意外に思ったが広告は基本的には出ないようになっている。wordpressは有料ユーザからの課金が主な収入源になっているのだろう。書き手からお金を集めるサービス……ってそれ自費出版と同じ業態だな……いやまあいいけど……。

ただ、WordAdsという独自の広告システムを持っており(よく考えてみると某社の検索連動広告にたいへんよく似たネーミングである)、そいつがいろんな広告システムを取り持ちつつ広告を出し、書き手とレベニューシェアできるようになっているようだ。まだ使ってないけど、そのうち申請するかもしれない。

ところで、運営側が広告を決めるシステムというのはなかなかいいんじゃないか?という気もする。変なエロ広告とかを出すまとめブログとかを作りづらい構成になっているということなので。

# なお……ニュースメディアなどはVIPという特別な料金体系のコースになっていて、そちらはめちゃくちゃ柔軟な特別対応が取られているようで、上のような話は関係ない。サーバごと別だったりするんだろう。が料金は月$5,000から、とかそういうレベルです。

プロフィール設定

ユーザごとのプロフィール画像や他のソーシャルサービスへのリンクなどはwordpressは受け持たないことになっている。wordpressの運営元が作っているgravatarというサービスにプロフィール情報は記述できるっぽいんだけど(別のソーシャルサービスのプロフィールへのリンクも生成してくれるんだけど)、別サービスになっているのはあまり嬉しい感じがしないし、gravatarのサイドバープラグインが好みじゃないのだよなぁ。困ったものです。

別にwordpress.comのなかにそういう設定を入れればいいだけだと思うんだけど、なぜそうなっていないんだろうか。

そのほかの雑感

こういうのを見ていると、wordpressのビジネスモデルというのがすけて見えてくる。ローカルビジネス、レストランやリテールショップの公式サイトのようなあたりをターゲットにしているんだな。独自ドメインを簡単に運用できたり、レイアウトはそこそこできて、適当なページをいくつか作っておけばいい。営業時間情報を出したり、ショッピング系のプラグインは入れられるようになっていると。

techcrunchなどではwordpressはMediumと競合しているというようなことを言っているけれども、それは違うんだろうなと思う。Mediumは記事を書くためのプラットフォームだが、wordpressはサイト構築プラットフォームなわけだ。そういやそうだよねえ(シックス・アパートとかもそういう方向にいってるよね)。なるほどねえ。

AMP

もう一点。うえではひとしきり「柔軟性の欠如」を文句のように書いてみたけれど、これは必ずしもそうとも言えないのではないかとも思う。サイト全体構造のHTMLはいっさいいじれないというのは、AMP的なアプローチの導入が可能になるということだからだ。

AMP (Accelerated Mobile Pages)はGoogleほかが提唱している枠組みで、モバイル環境でも高速な画面を可能にするHTMLのサブセット+カスタム要素のことだ。詳しくは別に記事を書いてもいいけど、なかなか面白い仕組みだと思っている。

で、実際well-definedなウィジェットしか使えないのであれば、それらのウィジェットがAMP化すれば相当高速化できるだろうし、嬉しい面も多いだろう。wordpressの方向性にも沿っているような気がするしAMP的にはできるとうれしいんじゃないかなぁ(と思ったらwordpressは今後AMPを採用予定とのこと。わお)。

『さよなら、インタフェース』惜しい本

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さよならインタフェース』という本を読んだ。

大雑把に言うと、こういう主張をしている本だ。

  • 世の中のプロダクトはこのごろ「まずスクリーンありき」で作られている。このスクリーン中心主義は全然ダメ
  • ユーザの体験や行動をきちんと見て、ゼロベースでどんなプロダクトや技術なら問題を解決できるか、を考えるべきだ

著者は画面中心のユーザインタフェース(UI)を否定して、必ずしもUIに頼らなくても良いユーザ体験(UX)を提供することを考えていて、これをNoUIと呼んでいる。

この主張はだいじなポイントを指摘していると思っていて、正しいと思う。著者の挙げている事例でも、たとえば「車の鍵をあけるためのアプリ」といった冗談みたいな事例や、テスラの巨大タッチスクリーン(かっこいいかもしれないけど運転中はダッシュボードが一切操作できない)などは納得感がある。

だが一方でどうも、「これはちょっと違うんじゃないか?」という点が散見されているように思う。

以下にいくつか具体例を挙げておくが、まとめると2つになる。1つには、スクリーンを敵視しすぎていて本来は問題ではないようなものも問題として表現していること、もう1つは、問題点の指摘はいいけどそこからどう考えたらいいかの道筋が不明瞭な点があることだ。

スクリーンの敵視

スクリーンがそれ自体でまずいわけじゃない……ということは著者も書いていないわけじゃないが、どうも全般的にスクリーンへの敵視が厳しい気がする。

たとえばp.62ではレストランの注文を画面タッチでできるようになった、という話を揶揄して書いている。その次の例ではスクリーン表示の自販機。でも、低価格帯のお店で画面から注文できるというのは利点は大きいように思う。客としても忙しいウェイターを呼び止めなくても気軽にいつでも注文できるし、メニューの変化や特殊なプロモーションへの対応も簡単だ。自販機もメニューの変化への対応や柔軟なレイアウトは実現できるのでは?と思う。

p.180では、アメフトの話が出てくる。アメフトは激しいコンタクトがあるので脳震盪などの問題があり、慢性外傷性脳症を罹患する選手もいるという。この問題に対してアメリカ疾病予防管理センターが作ったスマホアプリは、ヘルメットの選び方や脳のダメージに関する基礎的な情報を教えてくれる。まあパンフレットみたいなアプリだそうだ。

もちろんこれは著者のお気に召すものではない。本当の解決策ってのは、ベンチャー企業とリーボックが共同開発したセンサ付きの帽子であって、ヘルメットのなかにこれを来ておくと、脳震盪のリスクがあるような衝撃を検出したらLEDが点灯して周囲に教えてくれる。

それは違うだろう。本当に全米のアメフト選手にこういったセンサが行き渡る、あるいはルールで着用を義務付ける、といったことになるまでは、公的機関にできることは啓蒙活動であり、いざという場合に簡単に目を通せるリファレンスであり、アプリはその目的のものなんじゃないだろうか(紙のパンフレットでももちろんいい、が、パンフレットを忘れてくることはあるだろうが携帯電話はいまどきみんな持ち歩いているから、アプリというのは最悪でもないだろう)。見ている問題の側面が違うものを比べているんじゃないか。

解決の不明確さ

5章から7章にかけて、ウェブ上の画面デザイン、とりわけ広告やプロモーション、インタースティシャル広告などについてひとくさり問題を指摘している。なるほど。まあ言いたいことはわかる。そして著者はスクリーン指向を否定しているから、そういう注意を逸らすような問題の多い画面から離れてプロダクトを考えるべきだと言う。それもわかるよ。

でもそれじゃ、ニュース媒体とかはどういう画面にすればいいの? この本はそういうことは教えてくれない。著者もおそらく興味ない。著者はスクリーン指向の問題を指摘しただけで、広告とかはその一例でしかないわけだ。でも、ニュースなんてスクリーンがすべてといっていいのでは。そういう場合はどうしたらいいのだろう。

11章ではオンラインフォームの問題を指摘する。パスワードの文字種を限定したり、何回か前のと完全一致するものは使えなかったり、秘密の質問やなんじゃもんじゃ。でもパスワードの場合、それなりに理由があってそういう複雑なチェックがある。その理由のなかにはうたがわしいものもあるだろうけれど、どのように効果があったりなかったりするのか、というのは個別に論証すべきじゃないか。イライラするからダメ、というんじゃただの駄々っ子じゃないか。

p.135からペイメントについて、Square Walletをべた褒めしている。確かにスクリーンレスかつシンプルでぼくもこれはすごいと思ったが、いっさい流行ることなく終わってしまった。著者は従業員の再教育などの面が甘かった、適切に消費者にリーチできていなかった、と失敗を分析しているが、ぼくはこれは完全に的を外していると思う。こういうペイメントアプリのライバルはクレジットカードなんだ。クレジットカードを出して払うってのは(アメリカでは)かなり広範にわたって受け入れられているフローだし、財布からクレジットカードを取り出す、というのは案外そんな手間でもない(し、NoUIでもある)。なんでライバルが携帯電話のアプリだと思っているのだろうか(また、著者の指摘するロックを解除してアプリを探して云々という複雑な手順は、NFCや指紋認証などの技術でかなりシンプルになっていると思う)。

まとめ

煽りっぽい文体でもあるし正直あんまり読みやすくはない本だし(なんというか訳者が可哀想になってくるたぐいの本)、うえで述べたように個人的には疑問を感じるところも多い。とはいえ著者の問題意識はわかるし、スクリーンレスという考え方は重要な面も多いだろう。IoTデバイスのユーザ体験を考える上では大事な面も大いに違いない。

「かたよってるなあ」と話半分に読むならよろしいのではないでしょうか。

スプラトゥーンの英語、あるいはローカリゼーションの問題

私は北米在住なので、WiiUも北米版だしスプラトゥーンも英語版をやってる(日本語設定ができないので……)。そういう状況なので、英語版の単語に慣れているが、英語版は日本語版からチョクに単語を置き換えているのではなくて、そこそこ文脈に沿っていろんな訳が作られている。

これってけっこう面白いし、翻訳(ローカリゼーション)とはこうしたものなのだなぁと思ったりもする次第。

たとえば、Inkopolis News(ハイカラニュース)ではSquid Sisters(シオカラーズ)はけっこう違うことをしゃべる。動画を撮ってみたのでこちらをどうぞ。

ブキなどの名称もけっこう違う。対訳表のスプレッドシートがあるので、こちらも興味があったら見てみて欲しい。

面白いなと思うあたりを個人的にピックアップするとーー

ガロンはgalなのでデコってる

.52ガロン、.96ガロンはそれぞれ.52 gal、.96 galという名称になっている。galはガロンの略記法だけど、「ギャル」と読んでそういう意味になることもある。こいつらのブキがデコってるのはその辺から来てるんじゃないかなぁと思っていて、英語版のほうがストレートな気がする(『イカすアートブック』でも「.52ガロンは「ゴツギャル」と呼ばれている」という設定が明らかにされてましたね)。

ノヴァブラスター→Luna Blaster

なぜそこを変えたし、と気になる訳。Nova Blasterでも全然問題ないと思うけどなぁ。よくわからない。どっちが英語版だったのかときどきわからなくなる。

○○コラボはブランド名称に

たとえばスプラシューターコラボはTentatek Splattershot。Tentatekはアロメに相当するブランドの名前で、コラボしたブランド名を冠するブキになっている。同じようにロラコラはKrak-On Splatroller、プライムシューターコラボ→Forge Splattershot Pro、スプラスピナーコラボ→Zink Mini Splatlingとなっている。

スピナー→Splatling

スピナー類はSplatlingという名前になっている。Splatとガトリング(Gatling)を混ぜた造語だと思うけどちょっとかっこいいなと思っていてこれは英語版のほうが良いと思っている。バレルスピナー→Heavy Splatling、スプラスピナー→Mini Splatling、ハイドラント→Hydra Splating。

シールドはWall

サブだとポイズンボール→Disruptorというのがかっこいいと思う。面白いところではスプラッシュシールドはSplash Wall。Splash Shieldでも良い気もするけれど、様態としては壁だしなぁ。

Inkzookaのかっこよさ

スーパーショットっていう名称はダサいと思うけどInkzookaはかっこいいなと思っている。トルネードよりもInkstrikeのほうがかっこいい気もするし、スーパーセンサーよりもEcholocationのほうがいい。メガホンレーザーに対応するKiller Wailはかっこいいけど意味がよくわからない。ダイオウイカはKrakenなのは意味的には大差ないけど、おかげで僕はよくダイオウイカのことをクラーケンと呼んでます。

ホッケ埠頭とマサバ海峡大橋

ホッケ埠頭はPort Mackerel。Mackerelというのはサバのことなんだけど、もう少し言えばああいう白身魚はわりとMackerelで、ホッケもMackerelの一種だからわりと的確な訳だなぁと思っていた。が、マサバ海峡大橋が出てきてしまって翻訳チームも困惑したんじゃないだろうか。けっきょくマサバのほうはHammerhead Bridgeという全然違う魚が割り当てられている。今後シュモクザメに関係するステージが出てこないことを祈りたい。

BバスパークとBlackbelly Skate

BバスパークはBlackbelly Skateparkという名前がついている。実はしばらくずっとBlackberryなんだと勘違いしており「なぜこれだけ果物なんだろう?」と気になっていたが、実はBlackbelly Skateまでが魚の名前で(エイの一種)、その名を冠している(bellyは腹という意味)。ブラックバスでも良かったと思うけど、Skateparkという名称のうまさがあったのでつい使ってしまったのだろうなぁと想像している。

ランクはLevelでウデマエはRank

これも正直いってなんで変えちゃったのかよくわからないけれど、「ランク」に相当するものはLevel(レベル)。Rankといえば「ウデマエ」に相当する単語になっている。どうしてそこ変えたんだ!という気分になる。Vibe(チョーシメーター)はChill→Toasty→Smokin’→So HAWT!と熱せられていく(hawtはhot、つまり熱いという意味のスラング)。

日本向けのスプラトゥーンに関して小粋なデザインがある場合、英語が配されていることがままあるわけだけれども、その英語が気になることがけっこうある。とくに公式だと「うーん」となる面はある。とくに『スプラトゥーン イカすアートブック』は全体的に作中のカタカナ語をそのまま英語化したものが多くて気になった。

とはいえ、日本向けにおいてどっちがわかりやすいかといえば、そりゃあ作中のカタカナをそのまま英語表記にしたものであろう、というのはとてもわかるので、英語版の内容を常に参照せよ、ということを言いたいわけでもない。

でもそこ実は違うんだよね、表記をそのままアルファベットにすればローカリゼーションなわけじゃないんだよね、ということにも、時には思いを馳せて欲しいなと思うのだった。

ところでついでに撮ったInkopolis(ハイカラシティ)の風景なんですがーー

おおむねいい感じだと思うんですが、Spyke(ダウニー)のキャラは日本版を見てショックを受けました。こっちだとBritishな言葉づかいでダウナー系のちょっと怖い雰囲気なのに、日本語版だとなんかノリ軽くない? それだけでけっこう雰囲気かわるんだよなぁと思ったりもするのだった。

ラーメンを打つ

前にSF日本人エンジニア飲み会なるミートアップで知り合った人は、ラーメンが好きすぎて自宅で作っているという。

作れるのかラーメン。まじか。

そこでいろいろ話を聞いた話を総合したところ、まあまあ作れるのではないか?と思うので、しばらくいろいろ試行錯誤をしていたのだが、まあこんなもんか?というレベルには達した。

 

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以下ではどう作っているかを軽く紹介する。ラーメンというのは麺とスープと具で構成されているわけだが……

・具

豚肉はベリーかネックのようなのの塊肉を買ってくる。適当に20-30分ほどガンガン茹でる(ネギや生姜を入れておくと臭みが抜けて良いとされる)。茹でた後でタレに漬け込むとそれっぽい感じになる。タレには、私はだいたい醤油とみりんを1:1で合わせて煮立たせたものを使っている。

野菜は適当に軽く湯がいたりしたものを載せたければ載せる(↑のには載っておりませんが)。ネギは刻んで散らす。

・スープ

スープは油、タレ、スープ本体、の3つでおおむね構成される。家系なら油は鶏油になるのだろうけど自分はラードを使っている。ラードはアメリカのスーパーではびっくりするほど売ってないが、アマゾンで買える。ラードを適量とり、加熱して液化させる。このときネギなどで香りづけをするという技法もある。これはやったりやらなかったり。油がないとラーメンは物足りなくなるので入れたほうがいいと思う(というか油がないと「これ材料的にうどんと変わんねーな」という気分になって盛り上がりに欠ける)。

タレは醤油ベースなら上の豚肉のつけダレを再利用するので良いと思う。味噌ラーメンを試してみたときは味噌を直接スープ本体に溶いた。

スープ本体は難関で、私にラーメンを教えてくれた人とかだと、鶏がらを何時間煮込むとか、豚骨を2時間ごとに入れ替えつつ半日ぐらい作るとか、そういう話をしてくれるのだけど、そこまでやるのはめんどいので、ここは鶏がらスープの素を買ってきて使っている。

これらは麺を寝かせているうちに準備して茹で上がったら適当に椀に注ぐ。

・麺

麺は以前にフィリップスのヌードルメーカーを買ったので、これを使……ってみたのだが、コシがいまひとつない。これはダメだな、と封印。次はスーパーでラーメンの乾麺が売っていたのでこれで行くか……と思っていたのだが、最近、ふつうのパスタマシンを買った。手でくるくる回すやつ。

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ラーメンの麺はほんらいかん水というアルカリ性の水で打つというけど、重曹でわりと代用できるという話であったので、重曹を使う。小麦粉100gに対して塩2g、重曹2gを混ぜる(本来は水側なんだけど面倒なのでね)。水は50gほど。

一通りまとまったら軽く捏ねてからラップに包んで15分ほど寝かし、そうしたらまた捏ねるのだが、わたしはうどんの要領で足踏みしてる。こねたらまた15分ほど寝かす。その後、ふたたび軽くこねてから軽く伸して、このパスタマシンで伸ばして切る。

茹で時間は1分で十分なようだ。生麺だしね(茹でるとけっこう膨らみます)。

こういう食生活をしていたら太る……というかまああんまりよろしくない気がするので、そんなに継続するつもりはないのだけれど、ラーメンは作れるものだ、というのは学びであった。

食われている頻度のわりに家庭での自作はほぼされないものだし(袋麺はあるけど)、やってみるとそれなりに工夫はあるし、ラーメンは種類がいろいろあるので自分ごのみな感じに試行錯誤を重ねる楽しさもある。まぁ豚骨ラーメンは自分には無理だとかいうのはあるので、ラーメンは自作でよい、というような達観はしていないけれども、まあ自分で作るにはそこそこのものは作れるようになってきた。そういうのは楽しいものだ。

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谷川史子『おひとり様物語』4巻より

……引用したけど微妙なシーンなので微妙なオチかな……。

根上生也『ピジョンの誘惑』と計算しない数学

鳩ノ巣原理、というものがある。たいていの人は大学以上の数学で知ることになる原理だが、とても単純な原理だ。

鳩が10羽いるのに、巣が9個しかないならば、どこかの巣には2羽の鳩が入ることになる

鳩のほうが多ければどこかに重複がある。このまったく当然としか言いようのないものに「鳩ノ巣原理」というたいそうな名前が付いている。

根上生也『ピジョンの誘惑』はこの鳩ノ巣原理を題材にしたパズル本だ。

鳩ノ巣原理オンリー本

61ex5j757xl-_sx341_bo1204203200_ピジョンの誘惑』には、論理パズルか数学パズルというべき問題が70問用意されていて、一部では鳩ノ巣原理オンリー本などと呼ばれていたりする。この「オンリー本」という表現にはある種の畏敬の念のようなものが込められている、とぼくは思う。

鳩ノ巣原理というのは上記の通りあまりにも自明な話である(原理というのはそうしたものだけれど)。だけど自明すぎて、えてしてどう対応していいかわからない。ぼくも大学の数学で学んだけれど、あまりの自明さに釈然としなかった思い出がある。なんというか、だから何というか、それって何の意味があるの、といった疑問がわく。

この本は70題ものパズルを通じてこうした疑問に応える。特に中盤の中級編では、様々なシチュエーションやパズルが鮮やかな形で鳩ノ巣原理に帰着されて解決される。このバリエーションの多彩さは、シンプルな原理の強力さをうまく提示できていると思う。

終盤はグラフ理論や離散数学の話になっていく。このように非常に自明な原理からかなり複雑な数学の定理まで導き出されることにも個人的には面白さを感じた。内容というか単語が専門的なので読み進めるのが難しい向きもあるかもしれないが、著者はちゃんと用語を解説してくれているし、雰囲気はつかめることだろう。

良い本だと思う。

計算しない数学

41opxptyt8l-_sx298_bo1204203200_さて『ピジョンの誘惑』のあとがきによると、この本は同著者の『計算しない数学』という本の流れを汲んでいるという。

そういう流れで読んだので少し拍子抜けしたが、『計算しない数学』は一般向けのふつうの新書なのでパズルや数学の具体的な問題を解説した本ではない。どちらかといえば著者のこれまでの一般向けの活動(テレビ番組とか)についてどういう意図を持っていたかが語られている。

だがそうした話を踏まえて、終章での「計算しない数学」の提言が面白い(いちおう補足しておくと……計算機科学的に「計算」というのにいろいろあるというツッコミはありうるけれど、ここでは著者が使ってる、一般的な意味での計算行為を考えている)。

著者はまず、現代的な微積分を重視する数学教育が20世紀初頭に出現した、という点に着目する(その事自体、知らなかったので目鱗)。この教育課程は20世紀には機能した「物理学のとなりにある数学」であるが、情報化社会となるであろう21世紀には異なる数学教育を目指すべきだという。そしてそれは、コンピュータを援用したグラフ理論や離散数学などを重視する数学教育であり、こまごました計算能力よりはむしろ論証する力を育むことを目指すべきなのだという。

……というのは、著者が本を書いて説明していることをぼくが1段落にまとめたものなのでツッコミどころもかいま見えるだろうけれど、本を読むとそれなりの説得力はある。とはいえ異論のある人もいるだろうし、いかに説得力があっても実現性についてとか、いくらでもツッコミを入れる人はいるだろう。

だが……でも、というような不思議な魅力がある。

この目で『ピジョンの誘惑』を見直すと、なるほど確かにいっさいの「計算」がない。いっけん計算が必要そうな問題でも(まあ多少の計算はするにせよ、見た目ほどの複雑な)計算をともなうことなく論証をしている。

なるほどな、と思う。

なお著者の根上生也という名前はなんだか見覚えがあるなあ、と思っていたが、かつて「第三の理」という数学小説を書いた人でもあった。64段のハノイの塔を題材にした小説で、不思議な読後感の小説だったように記憶している。