月: 2024年3月

酸っぱい喉

自分でもどういうわけだか知らないが “sore” という単語を認識できていなかったことがある。

soreというのは体の部位が痛いというか何というかというときに使う単語で、日常的によくあるのは喉が荒れ、いがらっぽくなっているようなときだと思う。風邪かなんかで休みます、というときの表現の一つがsore throatだ。

そういうわけで風邪の時期になるとそういう表現をする同僚を目にすることもあるわけだが、この字面を見ていたのにも、どういうわけかsoreという単語が目から滑り落ちて認識できていなかった。そして、代わりになぜかsourだと思っていた。「へえ、喉がいがらっぽいみたいな時はsour throatっていうんだな。不思議な感覚だなあ」などとすら思っていた。思い返すと不思議なのはどちらかというとこちらの認知能力の方である。

恥ずかしい間違いなので誰にも言ったことはなかったし、多分誤用したことはないと思うけど(恥ずかしいので検索はしないが)、それにしても不思議な勘違いであった。まあしかし、内容や期間はともあれそういう変な勘違いの一つや二つ誰しもあるものではあるだろう。変だけど。

風邪を引いたりして喉がちょっと荒れてくるたびに思い出す個人的なネタなのであった。

“Androids” の感想の補足:Bob Leeのこと

前回の記事で書き忘れてたこと。

本には主要登場人物というべき何度も登場する人がいく人かいるのだけど、その中の一人がBob(”Crazy Bob”というあだ名がつけられている)という人だ。本書では9章の「コアライブラリ」の章で初登場する。BobはDanger/Be/WebTV人脈ではなく、もともとGoogleでAdsの一員として働いていたところからAndroidに移籍した人だが、コアライブラリとしてApache Harmonyを移植したりしてランタイムの基盤を整えたりといった大きな貢献をしている。それだけではなく本書の結構いろんな箇所で登場していろんなコメントを残している。インタビューに応じてくれて多くのコメントを残してくれたのだろうと想像される人物である。

それ自体はふーんでおしまいなんだけど、その初登場の節からちょっと後で、BobはやがてGoogle自体をやめてSquareのCTOになったのだった、という後日談が簡単に述べられる。自分はちょっと気づくのが遅くて、そこで遅まきながら気づいた次第なのだった。このBobという人は、先般サンフランシスコの路上で刺されて亡くなったBob Leeその人だ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bob_Lee_(businessman)

2023年4月某日、男性が深夜にサンフランシスコの路上に刺され、そのまま亡くなるという事件があった。その男性は実は元SquareのCTOでCash Appの創業者であるBob Leeなる人物だと判明してサンフランシスコテック業界に大きな衝撃を与えた。当初こそいかにサンフランシスコの治安が悪化したかという話として受容された本事件だが、その後奇妙な展開を迎える。Bob Lee刺殺犯の容疑者は通りがかりの見知らぬ強盗ではなく、Bob Leeと知己であるNima Moneriなる人物だった。実はBob LeeはThe Lifestyleなる名前のセックス&ドラッグコミュニティの一員であり、Nimaの妹もそのコミュニティの一員としてBobと関係を持っていたのだという。Nimaは既婚者である妹がBobと関係を持っていたり一緒にドラッグをやっていたりするのではないかという疑念を抱き、その日に問いただして最終的にBobを刺殺したのだという。この事件の背景まで報道されると、サンフランシスコテック業界内ではどちらかというと困惑といった感じで受け止められたと記憶している。

“Androids” はこの事件が起きるより前に書かれた本なので、もちろんこういう事情は本書では一切触れられていない。Bobは他の開発者たちと同様にAndroidの初期の話を彼自身の視点から語ってくれているだけだ。だが彼の発言を読んでいくことで、彼の人となりのようなものがわずかなりとも垣間見える。私自身はこの事件の報道があった時にはBob Leeという人と関わりはなかったし、詳しくもなかったので、事件の報道内容についてもなんというかフラットに受け止めていたと思う。でも本書を読んでBob Leeという人の輪郭のようなものが見えてくると、この事件の不思議さというか、事件の報道を読んだ時の困惑のようなものがわかるように思うのだ。

本書のBob Leeは気さくで、技術の細かいところもよく抑えた好人物で、報道のようなセックス&ドラッグコミュニティに出入りするテック系のお金持ち、といったイメージとは全く異なる。いったいどちらが本当の姿なのか……などと思うのだ。だが、どちらかだけが本当ということではなく、そのどちらでもあるというのが人間というものなのだろう。

ともあれ、この事件の人物と本書の登場人物が繋がったのは結構びっくりしたし、それで事件の受け止め方も変わってきたな、ということは、本の感想とは違うレベルの話だけど書いておきたかったので、こうして補足記事として書いておく。

“Androids” by Chet Haase: Androidを作った人たちの英雄列伝

Chet Haase氏の書いた”Androids“を積んでたのを思い出したので読んだ。面白かった!

Chet氏は2010年にGoogleに入り、Androidの、特にUIフレームワーク周りの開発を主導してきたエンジニアだ。同時にAndroid開発コミュニティではさまざまな講演などでもお馴染みの人でもあり、Android Developers Backstageというポッドキャストのホストも長いことこなしてきた。

そんなChet氏が、Androidの初期の事柄を記録しようということでさまざまな人にインタビューを行い、それをまとめたのが本書だ。創業からGoogleの買収を経てSDKの公開、1.0、そして最初のデバイス(G1)の発売である2009年ぐらいまでのことについて、関係者の声や思い出話をまとめ、紹介している。これが面白いのだ。

面白さの一つには、出てくる個別のエピソードがそれぞれいちいち面白いという面がまずある。創業まもなくほとんど何もできてなかったスタートアップのAndroidみたいなところでGoogleによる買収が決まったか。Larry PageがDanger(AndyがAndroid創業以前にやってた携帯電話の会社)の携帯を使っていてファンだったところが大きいらしい。Google買収前にAndroidの面々がサムスンに交渉に行って「で、OS作るチームはあるの」と言われてBrian Swetland一人で作りますと言われて一笑に付される話。Hiroshi Lockheimerは大学の学位がなかったので当時めちゃくちゃ学歴主義だったGoogleでの採用が難航し「なぜ大学を中退したか」みたいな小論文を書かされるようになったというくだり。当時別のチームにいたがAndroidの中の人に頼まれてAndroid SDKを紹介してデモアプリを動かすような講演をやったら、そのことを知らないAndyに「こいつは一体誰なんだ、なんで勝手にこんな紹介してるんだ」と烈火の如く怒られ、そのことを振り返って「Andyとの仲は最悪のところから始まった。ここからは良くなることしかないと思うことにしたよ」などと嘯くDave Burke……。

自分にとっての面白さは、身近さと同世代性という面もある。自分はAndroidと全くの無関係ではない仕事生活をしていたことがあるので、本書の中で言及されている人たちの中には、直接の知り合いとまではいかないがこちらからはどういう人なのかはわかっているような人たちが結構いっぱいいる。そういう人たちの物語が描かれるということの面白さというものがある。そしてAndroid登場時にはすでにGoogleで働いていたので、そういう面でも身近さと同世代性みたいなものがある。まあ実際には自分よりはやや年上な人たちが多いんだけど、小学生の時とかにBASICでプログラミングに初めて触れた、みたいな人たちが多いのも同世代性を感じるところがあるかもしれない。

ある意味では『闘うプログラマ』みたいな面白さもある。それまでのキャリアで培われていたOS人材がAndroidの名の下に(再)結集し、スマートフォンOSという新しい分野を切り開いていく(そして成功する)というストーリーの面白さ。それと同世代性からすると「俺たちの世代の『闘うプログラマ』」という側面があるような気がする。

ただ、『闘うプログラマ』と比較してみると大きな違いがあって、それは本がどこに焦点を置いているかというところ。『闘うプログラマ』はデイブ・カトラーという人へのフォーカスが大きく、それ以外のOS開発チームはややもすると背景に落ち込んでいるような気がする。それと比べてみると “Androids” ではむしろAndy Rubinの影の薄さが際立つ。

Andyの影がうすいというのは別に何もしていないということではないし、言及回数が少ないということでもない。ただ本書は(多分)Andyに話を聞きに行って(いけて)いないし、彼自身の話というのは意外とあんまり出てこない。本としてのフォーカスはむしろAndroidというプラットフォームを作り上げていった開発者たちにあり、読者に印象を残すのはBrian SwetlandでありMike CleronでありDianne HackbornでありRomain Guyであり……といった人たちになる。開発対象のレイヤ(カーネル、コアライブラリ、フレームワークなど)ごとの章立てと、各節ごとに特定の個人にフォーカスを当てて語られるような構造からしても、編年的ではなく列伝的な構成になっている。この構成がこの本のいいところだと思う。各人のそれぞれの思惑とかあるべき姿、そういうものの対立が描かれているところも面白さに寄与している。

少し残念なところ。自分はAndroidには複雑な気持ちを持っているので、本書の著者や登場する開発チームの人たちの語られることは少し違うな、と思うことは結構あった。もちろん事実として正しくないということではない。ただ自分とは違うものの見方であり、そういうふうにみるとこういう表現になるんだな、納得はするけど自分とは違うな、というようなものでしかない。でもまあ、そういうものは多々あった。具体例はあげづらいのだけど。

もう一つ、東京チームの存在感のなさは残念に思った。実際には東京に開発チームができたのは本書のスコープからすると少し後のことだと思うのでそこにほぼ言及がないのは仕方ないようにも思うのだが、もう少し稿を割いても良かったんじゃないかなあと思う(ただの身贔屓かもしれない)。東京の人たちで言及されているのはたぶん、門間さんのことがインタビュイーの発言の中に一度言及されているだけじゃないかな。まあこれは自分が日本人だからで、他のロケーションの人には同様に色々思うこともあるだろう。

まあそれはさておき総合的には非常に面白い本だった。日本語で出してもそれなりに面白く読まれるのではないかなあ。誰か訳さないのかな。