月別: 2016年5月

アン・レッキー『叛逆航路』と翻訳の話

アン・レッキー『叛逆航路』を読んで唸ってしまった。

どうしてこうなったのかなあ、というか、きっともうちょっとこうじゃないんじゃないかなあ、というモヤモヤがうかんで晴れない。

どういうことか?

『叛逆航路』はいまから考えられないほどの未来が舞台だ。人類圏を席巻するラドチという銀河帝国のようなものがあり、皇帝アナーンダ・ミアナーイは単独の存在ではなくて、複数の個体が(どういう理屈でか)意識を共有して統治している。主人公は戦艦「トーレンの正義」、およびその制御下にある属躰(アンシラリー)という、一種のサイボーグのような存在になっている。各戦艦は人間を改造して制御下においたアンシラリーをいくつも保有していて、意識が共有されている。アンシラリーの視点からすると戦艦もアンシラリーの身体もどっちも自分、といった風になっている。

が、この設定を踏まえて、この小説の最大の特徴は登場キャラクターの人称代名詞にある。

ラドチの言語において人称に性がない、という設定があり、すべての人称は「彼女」(原文ではshe)、個別の一般名詞も女性のものが使われる(「娘」とか)。またアンシラリーである主人公は人間の性別を外見からあまり的確に判断できるわけではないので「彼女は男性だろうか、女性だろうか」と悩んだりする。また一部の舞台の現地語は性別があるので、正しい人称を使えるかどうかで主人公は思い悩む。

この設定、いかにも「フェミニズム方面の何かなのかなあ」という雰囲気を感じさせるものがあるし、実際そうでないとも言い切れないだろうけれども、ただ、それだけともいいがたいものがある。ラドチの超越者たちは複数の身体をもっていて、どういう理屈でか単独の人格に統合され存在している。独特の固有名詞の語感なども込みで、人称をどう表現するか、というのははるか未来の異質な存在になりはてた人類社会を描くためのツールとして使われているのだと思う。

そしてこの点が、ほんとうに翻訳って難しいな、と思うのだ。


日本語の人称に性別がない……とは言わないが、あまり人称の性別を気にしないほうだと思う。「その人」「そいつ」といった表現で中立的な表現もカジュアルにかける。そんなわけで、「彼」「彼女」といった人称代名詞は、あえて性別の情報を付与したいときに使う特殊なものなんじゃないか。すくなくとも英語のshe/heのカジュアルさとはぜんぜん違う。

おそらく原文を英語で読んでいる場合には、序盤で「はてこの小説、sheしか出てこないぞ」と思っているうちに、どうやらラドチの言語では人称がないのをすべてsheとしているという小説なのだ、といった気づきを得ることになるんじゃないか。それと比べると、この「彼女」の頻度はいかにもうるさすぎる。

いっぽう、日本語の小説で男性女性の使い分けでは、セリフってのがけっこう大きい。語尾や役割語を適当に扱うことで話者の性別などがあきらかになる。英語にはそういうものはあまりなく、単語レベルでは同じ文言になっていて、男性と女性でちがう台詞になったりすることは少ない。日本語の翻訳家たちは、小説を読みながら話者を意識して適当に役割語をわりふったりするものだ。

そういうわけで、英語の小説で、セリフに使われる単語などから性別があきらかになるようなことはない。が、そのように役割語を持たせない表現を日本語で実施すると、いかにも生硬かつ無味乾燥で読みづらい会話になってしまう。かといって適当に性別をわりふって役割語を当てはめるわけにもいかない。正直、どのキャラやどの身体が男性でどのキャラが女性なのか(そもそも複数の身体を持つ場合にどうなっているのか)、といったことは最後までよーわからんというのがこの本であり、その宙ぶらりんであるということが小説としてのキモでもあるわけで、そんなことをして読みやすくなってしまっても意味がないわけだ。


ここで言いたいのは訳がいいとかわるいとかではない。そのことははっきり言っておきたい。むしろ原文の面白い試みを的確に尊重してたくみに訳した本と言える。

でも結果として、日本語の小説としてはちょっと珍しいレベルのすごい文体の小説になっちゃっているんじゃないか。原文は英語の小説として異常ということはないんじゃないかという気がする(気になったので2巻を英語で買ってみてちょっと読み始めてみたが、今のところこの推測は反駁されていない)。違和感がないというわけではないが、小さなひっかかりを覚える程度のさじ加減なのでは。

しかし、英語で語る上でたくみに構成されたものが日本語になって同じように効果を発揮するわけでもない、という、それはもちろんしごく当たり前のことであるわけですが、その当たり前の難しさが、不可避的に表面化しているのがこの本なのではないか。

やっぱり日本語の小説としてはちょっとなんというか、変さが際立ちすぎてしまっていている、ということがあるのではないだろうか? 「彼女が連発されているのは原文で人称代名詞が基本的にすべてsheになっていることがあって……」みたいな前置きが必要なのではないか? たぶんそんなに難解な本というわけでもないのに。

繰り返すけど、訳が良いとか悪いとかいうレベルの話ではなく、この本を英語から日本語に訳すということである意味避け得ないポイントであって……

小説の翻訳って、ほんと難しいよな。

そんなことを思わさせられました。

が、不必要に難解になってしまったという意味で、あんまりおすすめの本ではないと思った。