月: 2019年12月

NetflixでIrishmanを観たら画面が日本語だった

Netflixでマーティン・スコセッシ監督の “Irishman” をみた。アイルランド系のマフィアの映画で、3時間半ほどある長編だ。

映画じたいはよかったのだが、今回ここでいいたいのはそういうはなしではない。ただ、映像が日本語だったのでめんくらった、というはなしだけをする。

ぼくは英語オリジナルの映像作品については、もっぱら英語音声に英語字幕つき(あれば)でみている。Netflixだとデフォルトの設定もそうなっているし、今回もそうだった。なので英語で会話がきこえてくるし、そのときに画面下部にでてくる字幕は英語になっている。

でも映像部分は日本語だったのだ。といってもなにをいっているかわからないとおもうが、そうとしかいいようがない。

Irishmanのなかでは、字幕とは別になんらかの文字が表示されることがある。たとえば、実話ベースの映画なため実在のマフィアがいろいろでてくるのだが、どちらかといえば端役なキャラの場合には登場時にキャラ解説が文字ででてくることがある。名前と、いつ死ぬか、どうやって死ぬか、などなど(たいていろくでもない死にかたをしている)。Irishmanとはちがうが、世界各地を舞台にしたアクション映画とかだと、風景にかぶせて地名をだしたりするでしょう。まああんなかんじのやつだとおもってもらえればいいのだけど、ともあれこういう「映像中の文字部分」が日本語になってた。

先述したとおり、セリフにかぶさるいわゆる「字幕」についていえば、これは設定どおり英語になっている。なので、そういう雑魚マフィアが登場している場面に主人公のモノローグがかぶっていると、日本語でそのキャラの死にかたが解説されつつ下の字幕は英語、みたいないそがしい状態になる。

というわけでめんくらったわけだが、どうしてこうなるか想像するのはむずかしくない。ぼくはOSやブラウザの言語設定は日本語なので、Netflixも自然に日本語UIになっている(変更できるのかもしれないが、気にしていなかった)。つまり、日本語のUIで『アイリッシュマン』をえらんで再生をはじめ……プレイヤーの音声設定は英語にしていたというわけだ。Netflixとしては、映像部分はUI言語から自動的にえらぶ仕組みなのだろう。じっさい、わたしのようなパターンのほうが例外的で、たいていの場合にはこのほうが自然なはずだ。たとえば日本人が洋画を字幕つきでみる場合なんかでは、字幕も映像部分の文字も日本語になってほしいだろうから(こまかくいえば、UI言語ではなくて字幕言語にあわせるべきだという気もするが、これについてはもうすこしあとで考えよう)。

さて、こういうことはIrishmanにかぎったはなしではなく、言語にあわせて微妙にコンテンツをかえるということは、けっこうあることとしてしられている。とくにディズニーはよくやっているという。

たとえばWreck in Ralph(邦題『シュガーラッシュ』)などの場合、ゲーム世界の表示は翻訳されていたりするという。英語でつくったままの「DANGER」みたいな表示は視聴者はみて理解することが前提になるので、解説字幕をつけるのではなくて、映像の側で変更して、日本向けの配信では「危険」みたいに映像自体をかえてしまうというわけ。

“Inside Out” (『インサイド・ヘッド』)ではこの路線をさらにすすめていて、映像のなかみじたいをかえてしまっている。主人公のライリーのきらいな野菜は、英語圏ではブロッコリなのに日本版ではピーマンにかわっているという。

https://www.yahoo.com/entertainment/s/why-inside-out-looks-a-little-different-in-japan-125518719127.html

以前そういえばこの作品を飛行機内の映像システムでみたんだけど、映像は共有で英語圏のまま、音声は日本版の正式なものをつかっているので、どうみてもブロッコリにしかみえないものを「ピーマン」と呼んでいる、みたいな不思議な場面に遭遇したような記憶がある。

基本的にはこういうのは配信先の国ベースのできごとであって、その地域にいるかぎりにおいては矛盾はおきないようになっているわけだが、Netflixも日本進出が本格化してきて、こういう部分にも目を向けるようになってきたということなのだとおもう。Irishmanはそうとう予算も労力も投入した作品だろうから、様々な言語ごとに映像を微調整するということはまったくおかしなことではないっていうことだろう。言語設定というのはNetflixのように国際的なネット企業だとなかなか面白いことは起こりがちで、自分のように例外的な設定でおかしなことになりがちではある。ともあれ、率直にいえば、おもしろい現象をみた、とおもう。

それにしても、Inside Outのようなアグレッシブな改変が今後おこなわれることをおもうと、これは映像と音声や字幕のあいだに矛盾をきたす危険性があるということを示唆している。音声と字幕と映像のどれをどの言語で表示するべきか、というのはかなりの部分で、まったく自明ではない……ただおそらく、映像と字幕の言語を連携させるのが理想的な挙動となるようにおもう。現状そうなっていないのは、字幕データが比較的「軽い」のにたいして、映像のきりかえがけっこう「重たい」処理だからだろう。

字幕は基本的にはテキストデータをつかって、画像の上にレイアウトしてかぶせるようになっている。フォントや色などはたいしていじれないシンプルなもので、そうであるがゆえに切り替えも用意だ。いっぽう映像そのものはデータもおおく、Netflixなどの再生では適切にバッファリングしたり帯域で画質を動的制御したりしている。ここで動的に複数の動画のあいだをスムーズに入れ替えるというのはなかなか困難のあるタスクだし、そのわりにそれで便利になるユーザがきわめてかぎられる機能になりそうだ。

いろいろコーナーケースを詰めていくとなかなか考えがいのある事例でおもしろいと思う。