テット『サイロ・エフェクト』 — 文化人類学の逆襲

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 (文春e-book)

橘玲氏の書評を読んで興味が出たので読んでみたが、面白い! もっと読まれるべき本だし、この書評で扱われている内容よりも遥かに広いスコープを持った本で良いと思う(橘玲氏、最初の2章からしか紹介してないけど後半も読んでるのかなぁ。別にいいけど)。

この本には刺激的な内容がいくつもある。データ・サイエンティストたちがニューヨークのサイロをまたいだデータを分析して様々な問題をあぶりだす話や、OpenTableの重鎮がシカゴ市警に転職して成果を上げる話など、コンピュータナードに響く話もあるが、フィナンシャル・タイムズの記者をしていた著者だけに、金融ネタ……とくにサブプライムローンの問題がどうして見逃されてきたかをサイロの視点で解き明かしていく部分が一番分量があるし、読みどころなのかもしれない。個人的には、ソニーのサイロ化の話を受けたフェイスブックにおけるサイロ対処の取り組みの話が面白かったし、ある種の組織論にもつながっている。

余談ながら、ソニーの事例で面白かったのは、ストリンガーがサイロを壊せなかったのは日本語を喋れなかったからじゃないか、というくだり。現場を動きまわってそこで何が起きているのかをつかむ、ということが(言語の壁によって)できなかったストリンガーは、指示を下してもなかなか思うように動かないもどかしさに絡め取られていく……。

一方、成功事例のほうは褒めちぎりすぎというか、これはこれで眉に唾をつけたくなる面もある。ほんとうにこんなことでうまくいくのかなぁ、みたいな難癖をつけたくなる気持ちもある。が、それはたぶん正しい読み方ではないのだろう。どのようなサイロがあるかによって対処すべき施策は変わる。ある状況におかれたときにどう動いたか、という事例研究でしかないと見るべきなんだろう。

それはさておき、いっぽうで著者が強調するのは、サイロがそれ自体で悪だというわけではないってことだ。というか、ものごとが専門的になり、効率化をすすめる上でサイロは必然的に構築されていくものだ。たとえばサイロを打破しようというフェイスブックの事例では、取り入れた施策によって、逆に物事の効率が下がってしまうこともあると説明されている。でもサイロにとらわれすぎてしまうと長期的には大きな問題を抱え込むことにもなる。「サイロを克服するには、この両極の間の細い道をうまく渡っていかなければならない」というわけだ。

文化人類学の視点

ただこの本が本当に面白いのは、こうしたサクセス・ストーリーや失敗事例の紹介にはないと思う。むしろ著者の背景が関係していると見るべきだろう。

テットは学生時代は文化人類学を専攻しており、旧ソ連の支配下にあったタジキスタンの僻地の村で参与観察をしていたらしい。その後ジャーナリストに転身したわけだが、この「文化人類学的な視点」がサイロの分析に役に立つ、というのがこの本の主要な主張である。

こういう話に文化人類学のような分野を応用するっていうのがぼくは大好きなので、この時点でこの本は勝ちだな、と思った。

もちろん文化人類学だけがそのように特権的地位があるわけではない。が、インサイダー兼アウトサイダーであるとか、「踊らない者」であるとか、秀逸なキーワードを使いながら語るのが本書の持ち味と言えるのではないか。文化人類学の発展、とくに西欧の工業化社会のありようも文化人類学の領分となった過程も丁寧に紹介している点も面白い。

おすすめ。